体験すると「あれっ?」という空間に出会うことがあります。
何かが絶対的におかしいなら、
その原因もわかるし、おかしいことにも気が付くのですが、
この「あれっ?」は、
なんとなく変…って感じる「変」なので、なかなか厄介。
それを感じるか感じないかはその人次第だと思うんですが、感じてしまうと気になって仕方がない。
この変な感覚の原因を今までにいろいろ探ってきたのですが、
一番多いのは、不自然さだと思います。
建築で言えば、構造というか、力の流れというか…、
あるべきところにあるべきものがない…とか、その逆もあるかな。
あるはずのものが違う形で表現されいることで、
全体が何となく不自然になることさえあって、
部分の表現に、些細だけど重大な間違いがあるというケースも少なくありません。
おそらく、知識云々ではなく、
体に染みついた感覚としてあるものが、何か変だぞって信号を出している。
ある意味、建築って自由なものだから、
なんでもありという考え方もあるけど、
絶対的な感覚として、
間違いと感じるものもある…ということを、作る側が知る必要があると思います。
突き詰めれば、「いい」には理由があるし、「良くない」にも理由がある。
そして、いいものは不自然さのかけらもなく、安心感や安定感だったり、
敢えてその逆の緊張感だったりが巧みに表現されている。
一方で、小手先で真似ただけのものに不自然さを感じることが多いのは、
真似る側が、抑えておくべき重要な部分に気づいておらず、深く考えないでただ形だけを真似るから。
そこには、なんの深みもない。
そこは、真似る側のセンスと洞察力が大いに発揮されるところなんですが…。
センスがなければ真似はただの真似。
センスがあれば、
そして真摯に取り組んだ上での真似ならば、
真似から一歩踏み出すことが出来、もっと突き詰めれば、オリジナルにもなり得るはず。
ちょっと言いすぎかもしれませんが…。
でも、情報があふれ、技術が日進月歩で進化する今は、
形だけを真似ることが昔とは比較にならないぐらいに簡単な時代です。
それも、自分の目で見て体験したものではなく、
画像、映像などの情報のみで得ただけのものの方が簡単。
いろんな技術を駆使すれば、なんでも出来ちゃうぐらいの勢い。
センスがなくても何とかなる…という風潮や考え方もありますが、
センスがなくても何とかなるのはあるレベルまで。
そこから先は、やっぱりセンスだと私は思います。
そして、冒頭の「あれっ?」を感じるか感じないか、それもセンスなんです。
私は、この繊細な感覚を大切にしています。
真似…という言葉を使うことをちょっとためらいましたが、
デザインは真似から始まる…という考え方もあるので、いい意味で、誤解を恐れずに使いました。
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