ずっと行きたかった。
初対面…って、
いつだったか分からないぐらい前だけど、
初対面の時から、
ずっと惹き付けられていて、
ようやく、その魅力的なお茶室でのお茶会に参加する機会に恵まれました。
お茶室の名前は「遺芳庵」。
高台寺のお茶室と言えば、
一般的に名前が上るのは、傘亭と時雨亭。
遺芳庵?なにそれ?…どこ?…といわれることが多いお茶室。
でもね、
最初に高台寺に行ったとき…、
↑ の方にも書いたけど、
いつだったか忘れたぐらいの前だし、
その後も何度も行ってるので、
最初って言われてもわからないんだけど、
最初に見た時から、この外観に心を奪われました。
なかなかないよね、こんなお茶室。
それぞれのエレメントのバランスが絶妙…というか、
表現が逆か…、
茅だから、当然大きくはなるんだけど、
その茅葺の屋根の大きさと吉野窓の大きさの、
建物全体に対するバランスの崩れ方が絶妙…なんです。

簡単に言えば、
妙にでかい茅葺屋根が載ってて、
吉野窓も建物の大きさから考えると、バカでかい。
でもね、それで妙に全体をまとまっていて、
とても愛らしいんですよ。
ひとつ発見なんですが、
吉野窓、これ、ちゃんと下地窓になってるの。

外観から見てた時は、
障子の桟の影だと思ってたんですが、
ちがったみたい。
でね、ちゃんと障子の縦の組子とピッチが合ってるの。だいたいね。
影でわかるでしょ。
それと、今これ障子が開いてるけど、
これでほぼ全開。これ以上開きません。
だから、外から見てるときに、
貴人口にも使えそう…って思ってたけど、
小舞があるし、これだけしか開かないので、
無理でしたね。
いずれにしても、
貴人口って、ほとんど使わないけどね。

でもね、わかっていたことですが、
席入りすると、この窓は背中側。
だからあんまり見えません。

最初に躙り口から中を覗うときにも、
直近の直角方向すぐ左手だし、
にじりだから、一旦視線切らないと入れないので、
視線切って、入ってしまうと、もう真横なので、
近すぎて全体が見えないしね。
実際にこの吉野窓を意識できるのは、
外から見た時と
正客かお詰めで、
最初か最後に一人でこの部屋に居る時間がある方なら感じられるかな。
たぶん、一番よく感じられるのはお点前をする方。
つまり、亭主かお点前さん。

この窓の大きさだから、
お茶事…には、少し明るめ。
吉野窓にすだれ吊れるのかな?

間取りは、
逆勝手一畳台目向切向板水屋道庫付っていう感じかな。
向切の逆勝手のお点前も、
水屋道庫を使ってのお点前も、
見るのはたぶん始めて…。
逆勝手の向切といえば…と、
『……右勝手(逆勝手)の運び点前では点前座の客側のほうに風炉釜一つだけを飾り置くことになるが、
それは「歯抜けのようにして悪しきなり」(『烏鼠集四巻書』)といわれていたからである。
実際そのとおりであって、後世の右勝手(逆勝手)点前が風炉釜を壁側に据え、
水指を客側に置くようになったのは、それを防ぐためだった。』
(神津 朝夫. 千利休の「わび」とはなにか)
↑ って書いてあったのを思い出した。
都合よく今は風炉の時期。
なるほど、そういうことね。
こういう機会でもないと、
なかなか見れないので、勉強になりました。
それと、水屋道庫もいいですね。
機会があれば、やってみたいな。
天井は竹の詰め打の上に土が乗ってたので、
茅葺の古民家によくある天井。
茅葺と関係あるのかな?
古民家に行くと、
土がぱらぱらと落ちてきて掃除が大変なので何とかしてほしい
…ってよく言われるやつです。たぶん。
あと、各施設に全部火災報知器付くらしくて、
ここも、傘邸も時雨亭も餌食に。
なんか、他に考えられないのかな?…と思うんだけどなぁ。
空間的には、たった二畳の大きさのお茶室。
でも、いろんな要素が盛りだくさんで、
堪能させていただきました。
「遺芳庵」を堪能させて頂いたあとで、
「傘とか時雨も見て行ってください…」と。
お声掛けいただき、拝見。




ここも何度も来てる場所ですが、
この日は、遺芳庵を堪能できた跡ということで気分もちがい、
秀吉、あるいは、ねねが
このお茶室を使ったときのことを妄想しながら、
また、特殊なお茶室故に、
どうやって使ったんだろう…と想像しながら、
重文のお茶室、「傘亭」と「時雨亭」を見学させていただきました。
ありがとうございました。
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