お願いしていた扁額を京都に受取に伺いました。
扁額の方は、大満足。
お施主様にも喜んで戴けると思います。
受け取ってからすぐに帰ろうと思ったのですが、
ふと、すぐ近であることを思い出して、
久しぶりに、
楽美術館へ見学に…。



ここでたくさん並んでいるのを見ると、
それはそれで、
ちょっと言葉は悪いかもしれませんが、
こんなものか…と思えてくるのですが、
いろんなお茶碗の中に混ざると、
目立たないようで目立つというか、
私の場合は、
目が効くわけではないので、
一瞥してひときわ目を引く…とかはないんですが、
華々しいわけではないのですが、
なんとなく鈍くて気が付きにくいけれど、
重々しいというか、重厚な…というか、そんなオーラを放っている、
いつ見ても、そんな気がするお茶碗です。
気が付かなかったら気が付かないで通り過ぎちゃうけど、
気が付いてしまうと、
その存在感に圧倒されそうな、
そんな重々しさがのしかかってくる…みたいな。
私の場合はね。
それが、お茶碗が放つ鈍いけど重厚なオーラのせいなのか、
名前のせいなのか、
名前を聞く前から感じていることもあるので、
前者であることを願いたいのですが、
それすらも、自分ではわかりません。
でも、やっぱり見てると、じっと見入ってしまって、
引き込まれるものを感じる時があるんですよね。
以前、本当に荒々しい感じの楽茶碗でお呼ばれした時に
その見た目とは裏腹な、
手に馴染むやさしさ…みたいなものが感じられて、
今だに手に残っている気がします。
多分、その時の見た目と手にした時のギャップと感動を、
頭が覚えてるんでしょうけどね…。
そんなことを考えながら一周しました。
焼成時の動画は、
迫力があって、
火の求心性もあるのか、
これも、
ずっと見入ってしまいますよね。
ありがとうございました。
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