松花堂庭園・美術館の三つのお茶室を見学。
まずは『松隠』。
HPによると、
『数寄屋研究の第一人者・中村昌生先生が設計した茶室。九畳の広間では、月釜会や松花堂忌茶会など主要な茶会で使用しています。また四畳台目茶室「閑雲軒」は、小堀遠州が松花堂昭乗のために建てた茶室を再現したものです。』
別の資料によると、
『石清水八幡宮は幕末まで神仏習合の宮寺として48の坊がありました。その一つの滝本坊に松花堂昭乗が社僧として住んでいました。この滝本坊には小堀遠州が造った茶室や書院が存在し、その中に閑雲軒がありました。寛永9年(1632)頃に建てられたと考えられますが、安永2年(1773)に焼失しました。しかし記録やおこし絵図が遺されており、昭和45年(1970)、中村昌生氏によって松花堂庭園内に復元されたのが松隠です。』
とあります。
9畳の広間と4畳台目の不思議なお茶室。
9畳の方は、ちょっと高床ぎみで、眺めが良くて、心地よさそう。
こっちはそう不思議でもない。
いや、やっぱりこっちも少し不思議で、
本間は6畳。
そこに2畳の広縁がついて、
あと1畳は、表千家や久田家の7畳のように、
1畳分飛び出して、合計9畳。
だから、例に出した7畳とおなじで、
花月が出来ない造り。
ここでやるかどうかは知らないけどね。
どんな経緯でこの間取りになったのかはわかりませんが、
一般的には、広間は8畳の方が使い易いと思います。
でも、他の茶室に8畳があるから、ここはこれでいいのかな…。
…で、
もうちょっと不思議なのが、「閑雲軒」と名のついた4畳台目。
これが遠州の閑雲軒の復元。
簡単に言うと、4畳台目の小間の廻りに屋内の廊下が廻っていて、
お茶室が「入れ子」のようになってるお茶室。
この「入れ子」になってるっていのが、
実際に見ると、想像以上に不思議。
最初、ちょっと頭が付いていかなかった。
天井は、平天井が菰かな?
点前座と下座側が掛け込み天井。
雲雀棚付き。
窓多め…だけど、入れ子だから調節できるか…。
測ってないので微妙ですが、
躙り口が縦長に見えるのは背が高いのか?幅が狭いのか?写真の映りの問題なのか?
現地での記憶が薄いので判断できません。
個人的な感覚として、
通常の躙り口ではなく、廊下などの同じレベルから躙って入る躙り口の場合は、
廊下と室内の畳の高さに少しでもレベル差をつけるか、
躙り口の高さ寸法を少し大きくしてあげる方が出入りがしやすいと思っています。
ここは、
たぶん、そうはなっていなかったともいます。
まぁ、個人の感覚なんでね。
で、こんな小間の廻りを ↓ 、
↑ 小間の廻りにこんな廊下が廻る。
小間が外に面していないので、
外に面している時と比較すると、管理が少しは楽だろうし、
劣化の速度もかなり違うだろうな…とは思いますが、
外と内の区別を感覚がどう判断しているのかはわかりませんが、
廊下から小間への入り口が、躙り口と茶道口と給仕口…のみなので、
ちょっとした違和感があり、不思議な感覚を覚えました。
躙り口の必要あるのかな?…と。
あと、4畳台目だけど、あまり広さが感じられなかったのはどうしてなのかな?
何度か行ってみないとわからないかな…。
茶室そのものというよりも、
それが「入れ子」になってることで、
かなり感覚的な狂いが生じていたような気もします。
ありがとうございました。

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