線の可能性…
線の表現で画面が埋め尽くされる図面って、
誰が描いても同じ…と、思うかもしれないけど、
字と同じで、
そこにはしっかりと個人のタッチが表れるので、
同僚などの比較的近しい人の図面なら、
誰が描いた図面かは一目見てすぐわかります。
他人の図面でも、
そのテクニックや図面が上手いか下手か(図面にもうまい下手がある)、
また、極端な話、図面を描いた人のだいたいの性格までがわかった…かもしれない。
CADになるまではね。
CADという代物は、
図面に表れていた性格やテクニックなどのすべての個性を埋没させ、
図面を、線を、均質にしてしまった。
線の個性がなくなった図面って、
ワープロで打った議事録なんかと同じで、
強弱や緩急や文字や空白がとても機械的で、均質なため、
描く人の気持ちが表れない。
だから、その機械的な表現に慣れるまでは、
図面全体が一気に視界に入ってしまって、
ポイントになる部分が読み取れず、
すごく見難くかったんです。
手描きの図面を見慣れていた人にはね。
描く方でも、
それまでは指先の感覚で、
線の太さや強弱を変えて図面を表現していた。
また、原図を渡すわけではないので、
青焼きにしたときにどう描いたらわかり易いか、見易いか…ということを考えて図面を描いていた。
考えて描いていた…というより、それが描き方に浸み込んでいた。
今や、青焼きも見なくなり、ほとんどが「白焼き」になった。
青焼き…なんていうと、
若い子に「なんですかそれ?」って聞き返されそうだけど、
指先の感覚での太さや強弱で表現していた図面が、
突然、線の太さだけで表現するようになったので、
その戸惑いは大きかった。
指先の感覚ではなく、
頭で考えて、画面に映る色を変えて描く必要があったから。
紙に打ち出した図面は白黒だが、
画面の中ではカラフルな色分けで図面を描き、
色で線の太さを変えるようになった。
そんな図面を見ることや描くことに慣れるまでには、
そしていろんなコマンドを覚え、アイコンを覚え、
操作に慣れるまでにそれなりの時間がかかった。
今は、
「図面を描く」といえば、
最初からCADやCGになっていて、
手描き図面は、建築士の試験のために練習するのみ。
CAD図面やCGでの表現力も格段に進歩し、
カラープリントも当たり前になって、
画面の中だけでカラーだった図面が、
紙にプリントしたときにもカラーになることも少なくなくなった。
線も面もカラーになることで、
図面は、線だけでなく、面の表現が含められるようになっっていった。
善し悪しは別にして、
つまり、わかり易く、見やすくなったのだのだから、
おそらく、歓迎すべきことなのだろう。
プレゼンも紙だけでなく、
パソコンやタブレットを使って、
動画やアニメーション、場合によってはVRまでを持ち出す。
伝わりにくい図面での表現を
少しでも改善するために、
根本的に変わりつつある、いや、変わってしまった…ということだろう。
前置きが長くなった。
前記は、ただの ロートルの愚痴…ではない。
一昨年か、もっと前からかな?…漠然とずっとそんなことを考えてきた。
『線』…が心の底に引っ掛かっていた。
引っ掛かって居心地が悪いから、
体制を整えようと、それが時折顔を出す。
昨年末には、
未知だった表現方法を知る機会があり、
新たな課題(そんな大仰な話ではないけど)を突き付けられるような気もした。
暮れに書いたブログにも書いた気がするが、
『シンプル』ということに飢えている気がするが、
何のシンプルさを取り戻せば解決するのか、
その答えには到達していない。
そんな状態の心が、
どこかで見た「線表現の可能性」展…の広告に引き付けられた。

つづく
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