どこだったか…で見た「線表現の可能性」展のポスター。
スマホで調べてみた広告の文章が ↓ 。
『一枚の絵は一本の線を引くことから始まります。線にはいろいろな種類があります。直線、曲線、点線、波線。描く材料によっても線の表情はさまざまに変化します。鉛筆やペンが生み出す細く尖った線。木炭やチョークの太く軟らかい線。また、伝統的な東洋画の筆と墨による運筆法は、「書画一致」と呼ばれ、線に作者の人格が表れ出るものとされてきました。線描画は、かつては完成作のための習作や下絵として描かれ、対象の形態を明確に輪郭づけるためのデッサンとしての役割を担ってきました。線は世の中のあらゆる存在を分節化し、各々を意味の世界へと定着させるための手段でした。その際、現実には存在しない輪郭線という抽象的概念が絵画の基盤となりました。一方、20世紀以降に誕生した抽象絵画では、独立した線表現として、線そのものが有している造形性が重視されるようになっていきます。画家たちは新しい線の創出を目指し、線はかつてない多様な表情と表現性を具えていくことになったのです。こうして、線は絵画の原点であると同時に、今なおその表現領域を拡大し続ける、古くて新しいテーマとなっているのです。本展覧会は、版画・素描を中心に、絵画、彫刻、写真を加えた約150点の作品によって、現代美術における線表現の多様性を示す機会とするものです。』
この文章に引き付けられた。
行かない手はない。

展覧会の広告やポスターを見て、
そう感じた時には、
たぶん何かを感じているのだろうから、
出来るだけ行く…ようにしている。
気が付くと終わってた…ということも、
結構あるけどね。
今回は、覚えているうちに行く機会が作れたので、行ってきた。
さて、なにか答えにつながるものを吸収できるのか?。
結果、
予想はしていたけど、
作品の位置づけから考えても、
当たり前に、
私の凡庸な感性では理解できない作品や、
私にとっては、なんの心の変化も生じない作品や、
この展覧会のタイトルにこの作品なのか…と、
私の貧相な発想では全くつながらないような作品が,
「なんだ、お前には理解できないのか!」…と言わんばかりに、
襲い掛かってくる。
ただ、なかには、
私では到底思いつかないような「その」線の表現が、
少なからず何かを考えるきっかけにつながるんじゃないか?…と、
軽めの刺激で、
心をつんつんとつついてくる作品も少なからずあって、
それがどんな刺激で、
今後何につながるのかまでは、
今の段階ではわからないんだけれど、
まずは、すこしでも刺激を感じられたことだけでも、
一つの成果なんだろうと思う。
…というか、
一気にすべてが解決するような起死回生の刺激なんて、
端から 求めてなくて、
この軽めの刺激を求めていたんだと思うんです。
で、
「シンプル」に飢えてるんだと思っていたけど、
単純に「シンプル」に飢えているのではなくて、
今は、
複雑なままでは自分なりの理解さえできないから、
まずは「シンプル」なところに答えを求めてるだけなのかもしれない…。
そういう意味での「シンプル」なのかもしれない。
展覧会を見て、
そんな風にかんがえるようになりました。
ということで、
今の段階では刺激にはならなかった作品も含めて、
時間をかけて咀嚼することになるのか、
明日起きた瞬間に、
すでに過去の話になっているのかは、
今の私にはわかりませんが、
一旦過去の話になったとしても、
何かをきっかけに、
突然蘇ってくることもあるので、
それに期待することで、
まずは目標達成…と思っております。
あっ、それと、
関係あるのか関係ないのかわかりませんが、
同時開催していた「彼女の肖像」展 ↓ で、

気になった動画作品があって、
なんとなく見入ってしまった。
沖縄の映像で、
そのタイトルが「BORDER」。
え、「線表現…」と繋がってるの?
って思ったけど…。
動画の内容も、
確かに「線」だよなって。
どうなんだろう?
ま、大きな問題ではないからいっか…。
ありがとうございました。
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