続いて万里庵。
万里庵は小間。
又隠の写し…と聞いたが、
又隠は茅葺だし、
貴人口はないし、
天井は網代だし、
道庫があったはずだし、
掛け込み天井もあったはずだし、
にじり口の上の連子窓も片引きだったはすだし、
茶道口も片引きだったはずなので、
私的には、写し…というにはちょっと違和感が…。
でも、四畳半だし、
貴人口と道庫を除く配置は似てるかも。
まぁ、いいか、細かいことは…と思いながらも、
もうちょっと詳しく聞いておけばよかった…と。
こちらも屋根は檜皮葺き。
扁額は表千家と裏千家の合作。
表は即中斎。裏は鵬雲斎かな?
この角度で見ると、
河合神社にある鴨長明の方丈の復元と、
屋根の形がそっくりだな…と思った。
もう一回りも二廻りも小さいですけどね。方丈は。
(写真すぐに見つかりませんでした…すみません)
なぜ、方丈を思い出したかというと、
小間茶室誕生の歴史的な展開を考えると、
のちにその洗練度を高めたのは利休だとしても、
「囲い」からはじまって、
書院や広間の茶室から、
四畳半という大きさ、小間茶室という概念を作ったのは珠光です。
諸説あるのかもしれませんが…。
で、その珠光は、一休に参禅し、
芸術に目を開くことや維摩居士のことを学んだといわれています。
維摩居士は釈迦の弟子で、僅か方丈の居室に居て、
悟りにおいて、その室を無限の広さに使い得たと言われていて、
鴨長明の方丈は維摩居士の方丈に倣ったともいわれています。
珠光と鴨長明を比べると、
時代的には鴨長明の方がずっと前の人なんですけど、
昔の話なので、
珠光が鴨長明のことを知っていたかどうか、
鴨長明の方丈のことを知っていたかどうかはわかりません。
なので、敢えて、維摩居士からの流れ…にしました。
そんな流れで、
珠光から鴨長明の方丈までが僕の頭の中ではつながるんですけど、
難しい話は別にして、
方丈の内部の使い方は、
当然、生活空間だから茶室と違うのは当たり前なんですが、
外観的には、似てるんですよ。
工法や材料が限られている時代なので、
当時の東家が、全部似てると言えばそうなのかもしれませんけどね…。
そんなことを考えている僕の頭が、 ↑ の角度で見た時に、
ふと、河合神社の方丈を思い出した…という訳です。
私の手持ちの写真は見つかりませんでしたけど、
ネット上にはたくさん写真があると思うので、
気になる方は検索してみて下さい。
「似てる!」って思ってもらえる方もなかには居るはずです。
↑ ぐらいのアングルの写真ね。
小間にしては床框が高いような気がしたが、
この前に、結構な時間、広間に居て…のここだから、
感覚がずれてるかもしれない。
天井は、葭かな?蒲かな?
壁が侘びて、貫の型がくっきり。
広間の立礼もそうだったけど、
ここまではっきり出てるのは珍しいかも。
こっちの蹲は水琴窟。
音をお聞くための竹筒が用意してあったが、
私にはいい音が聞こえなかった。
残念。
空いてたし、
ゆっくりと、
久しぶりに堪能しました。
ちなみに、どちらの建物も中村外二工務店の施工です。
11月いっぱい、一般公開されてるようなので、
興味のある方は、お早めに。
近くなので、
お声がけ戴いたら、ご一緒しますよ…。
ありがとうございました。
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