<当日>
外部では、まずは客の到着前に玄関廻りの掃除。
ここのお茶室は、玄関廻りから露地が見える配置だったので、お客様(以降、客 と表記)の到着前に露地もそこそこ念入りに準備。
借りたお茶室なので、どこまで打ち水するか?や、どこまで清めるか?など、本来やるべきことでも、いいのかな?…と躊躇することもあり、そこは臨機応変に…。
ただ、季節は落ち葉の季節。いくら掃除しても、好むと好まざるに関わらず、後から後から新しい落ち葉が露地を彩ってくれる。朝一番だけは、公園の管理の方がブローで落ち葉を吹き飛ばしてくれました。有り難い…と思ってお任せしていたら、折角掃除した腰掛け待合廻りに落ち葉の吹き溜まりが…。枯れ葉掃除からやり直し。
室内の各部屋では、前日の掃除からの最後の仕上げと掛物などの室礼。炭熾し、莨盆、湯、くみ出し、道具類の準備、炭点前の準備、食事の準備、……と、水屋を含めた諸々の準備が多岐にわたり、限りなく…。
そこはそれぞれの担当が、進行に支障がないように責任をもって順次準備を進める…。
コンセントは小間と広間に設置あり。仕方がないので、使っていない方の部屋に移動しながら使うことに。
玄関廻りは、想定するの客の到着時間の少し前に打ち水が終わるぐらいに…。
茶事で客は、打ち水と扉が切ってある(少し開ける)ことを合図に、玄関から寄付待合まで勝手に入っていくのが一般的。だから玄関廻りの打ち水は、想定する客の到着時間の少し前に終わるぐらいに…。先に玄関廻りに打ち水すると、客は準備が出来ていると思って入って来ちゃうかも…。
この日のお茶室は、少々変則的なお茶室だったので、案内係が必要だろうと準備をしていましたが、落ち葉と格闘中の露地係と客が出会ってしまったため、ひと通りの準備を終えたあと、早々に寄付待合に通って戴くことに…。
お茶人さんは早め早め…の方が多いのでお茶人さんあるあるの話ですが、あまりに早すぎると迷惑にもなるので、早めに着いても打ち水がされていなかったり、扉が切られていないことを確認したら、一旦離れて待つ方が良いようです。
以前、ある先生と茶事にご招待された車で伺った時に、車はそのご自宅の前に停めてください…ということだったのですが、目的地前までいくと同行の先生が、一旦行き過ぎてください…と。どうして?…と思ったのですが、打ち水がまだだったので、急かしても悪いから…と、離れた見えないところで待つことに。客側にも、このぐらいの心遣いは必要だと学びました。
この日は公園内のお茶室で、茶室の配置がそうはいかない状態だったので、時間を早めて入ってもらった…という訳です。
正解はないので、ここも臨機応変に。
ただ、後で聞くと、準備が終わるまでの少しの間、それなりに距離を取った上で、露地係の動きをなんとなく見ておられた方もいて、何事もしっかりやっておかないと、誰がどこで見ているかわからないということですね。
露地係が幸いしっかりやっていた…ようで、この日戴いたのは、お褒めの言葉でしたが…。
客が身支度を整え、寄付待合に入ったら、白湯を供し、茶事に臨む気持ちを整えていただく。
白湯ぐらいで…と思うかもしれませんが、私は以前にご招待戴いた茶事の待合で白湯を戴き、口中を潤し、のどを通る少しの暖かい白湯が何とも新鮮で、本当に心が改まった心地がしたことがあります。白湯だからいいのか、何かの偶然が一致したのかはわかりませんが、茶事に臨むにあたり、繊細な心持ちでいろんな知覚を敏感にすることでしか感じ取れない、亭主の趣向を含めたたくさんの気付きを得るためにも、白湯で心の準備をする、もしくは、知覚センサーを敏感にするスイッチを入れることが非常に重要だと思っています。 (白湯には若干の香りや味をつけている場合もあります。)
全員がお揃いになって、落ち着いた頃合いに、半東の案内で腰掛待合に移動していただく。
露地への出入り口が玄関しかないのは客も同じ。腰掛待合へは当然玄関から。
ですので、 最初に玄関から寄付待合に入って戴いたあと、客の草履を片付け、露地草履をセッティング。
露地は、客が寄付待合に入られたあと再確認済みで、準備万端。
朝露にぬれた木々が朝日に輝く露地は、瑞々しくて本当に美しいと思います。個人的には、新緑の季節が「きれい!」と感じる日が一番多い気がします。とはいえ、朝露がいつも降りるわけではないので、期待できないときにはその美しさを引き出すために必要なのも打ち水です。もちろん、客を迎え入れるための三露の意味での打ち水が第一ですが、美しさを演出するなら、木々にもたっぷりの水を与えてやりたい。そこは抜かりなく。
但し、この日は公園のお茶室。キラキラ光ってくれる目の高さくらいの低木が少なく、廻りには見上げるような高木が多すぎて期待できず…。
客が腰掛待合に出られたあと、亭主が座を清め、蹲を改め、迎付けに出て客を招き入れる。
ここでも、少し変則的なお茶室の影響で、若干ですが、一般的な流れとは異なる方法で客を招き入れることに…。
前にも書きましたが、ここのお茶室は、勝手から外の様子をうかがうことが一切出来ない。つまり、客の席入りの完了は、茶道口あたりで客が室内に入り切るのを耳を済ませて待つしかない。そういうものだ…と言われるかもしれないが、これがなかなか初めてのお茶室では難しい。当然、戸を閉める時には、客がちゃんと音を立ててくれているし、蹲の水を改める音の合図も抜かりない。でも、お茶室をはさんで向う側の音がはっきり聞こえない場合もあるし、聞き慣れないとうまく聞き分けられないときもある。せめて気配だけでもうかがえるようにな工夫があれば、もう少し安心して進行できるのに、と思ったり…。
露地への出入りも、玄関からだけではタイミング次第で客と顔を合わせるのは必至。出入口または掃き出し窓をつけられる面はあったので、意思があったかなかったかだけの問題か…。使い勝手に意識がいってなかったのかな…と少し残念な気持ちに。
茶事で客としてお呼ばれする時に、席入りして、みんなが定位置に座った瞬間にシャッ!っと襖が開くのは、それはそれでいいタイミング…と思うのですが、個人的にはちょっと間がないとなんとなく落ち着かない気がするので、客側にもその間を持たせてあげたい。どのタイミングで開けるかは亭主の判断として、中の気配を伺いながら、ちょうどいいタイミングで襖を開けるのは、慣れで解決できる問題なのか?これは裏側を垣間見るだけで把握できる問題ではなく…。
その意味でも、ご自宅の茶室ならまだしも、不特定多数の人が使うような公共茶室では、やはり勝手から気配がうかがえる工夫はあった方が良いかと…。
客が小間に入ってからは、亭主の挨拶、炭点前、その後お食事となります。
茶事での茶室のほの暗さは、炭点前の時にもその効果を発揮する。赤く熾った炭があたりをほのかに赤く照らし、寒い季節にはそれだけでも温かみを感じるし、火の求心性のせいか、明るい広間で炭点前を拝見するのとは全く違い、引き込まれる。火の力ってやっぱりすごい。
利休は、隅炉の点前と風炉の点前の道具の置き合わせがほとんど変わらないため、初期では隅炉を好み、また、点前畳に炉のある向炉(隅炉もしくは向切)の方が、点前畳に広さがなくて珍しいことをしようと思っても出来ないから…と、台目構えではなく向炉を好んだとされています。また、隅炉の時の炭点前では、末客からは亭主の背中しか見えない…ということを理由に、向切にして、炉の位置を下げていった…と伝わっています。
たまたまですが、私が先日参加させて戴いたお茶事は隅炉のお茶室で行われ、私は末客ではなかったのですが、炭点前のみならず、末客の方は亭主が点前をしている間中、亭主の背中しか見えていないのでは?…と感じていました。利休がその後向切を採用したのは、炭点前が見えるように…というよりも、向炉を前提に、茶事全体を通して、点前が少しでも見えることに加えて、炉と釜の隙間から少しでも火が見え、火の力が感じられる炉の位置…ということだったのではないかな?と考えてみたり…。
お食事は、一般的には小間で饗することも多いですし、私自身は、ほの暗い小間で食事をとる事がその後の濃茶の緊張感にもつながる…と思っているので、小間で食事をとる方がより良いとは思っていますが、客の人数やその茶事の性格にもよるところも大きいかと。この日は客の人数の関係で、広間に通っていただいてゆっくりと食事を…。
次回に続く
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